青の名前

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天川栄人のブログです。新刊お知らせや雑記など。

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【短編】こいこく

 おとんはな、ダメな人間やねん。
 まずタバコ吸いすぎ。ヒゲ伸びすぎ、口クサすぎ、声でかすぎ。
 まあこれらはほとんど全てのおっさんに当てはまるから言うても仕方のないことやけど、おとんの場合、酒にめっぽう弱いのが最悪や。大した稼ぎもないくせに、それ全部飲んでパァにしてしまうんやから、ママが出てったのもしゃあない話や。(ママ、ウチも一緒に連れてってくれたらよかったのになあ。でもまあママにもたぶん何か考えがあったんやろ。なにしろママは天使みたいな美女で、天使なんやから正しいことしかせえへんはずや)
 で結局、アパート代も払われへんくなったおとんは、ウチ連れて、ばあちゃんちに出戻ったわけ。男親でも出戻りっていうん? てか出戻りって死語?
 じいちゃんはとうの昔にボケてもうてたけど、ばあちゃんはまだまだシャッキリしてはる。そのうえガメツイことで有名で、先祖伝来の土地転がしの技で、なんだかんだ食べていけるだけの収入はあった。で、おとんはダメな人間やけども、孫の可愛さには勝たれへんわけで、ばあちゃんはプリプリしつつも、おとんとウチの居候を許すことにしたとゆうわけ。せやから、おとんはウチに感謝すべきやで、ほんま。
 でも、ばあちゃんちに身を寄せたからゆうて、何が変わるわけでもなかった。おとんは相変わらず毎晩アホみたいに飲み散らかして帰って来て、真っ赤な顔してあることないこと大声でわめく。ウチやばあちゃんが無視すると、さらに大声で怒鳴る。で、あるときオシッコ行ったと思ったら、そのままスンと寝てまう。
 ほんと、ダメな人間や。十二歳のウチにもわかるんやから。ほんとのことやねん。
 でも、ウチはおとんの味方や。
 おとんのことが好きだから、とゆうわけではない。コウヘイセイのカンテンからや。
 だって、うちには大人が三人いてるやろ。ばあちゃんと、じいちゃんと、おとんと。三人とゆうことは、全員一致でもない限り、意見は必ず二対一になってまう。で、ボケてもうてるじいちゃんは、ばあちゃんの意見に賛成しかせえへんので、つまりいつだって、じいちゃんばあちゃんの連合軍VSおとん、という構図になってまうわけや。それって公平ちゃうやんか。
 なんせウチ、将来はびんわん弁護士になる予定やからな。不公平は許されへんねん。
 せやからウチは基本的に、おとんの味方をすることに決めてる。
 とはいえ、ダメ人間のおとんの味方をするのは、大変や。
 特に今回のことは、いくら仏のウチといえど、ぎりぎりやったな。ほんまに。

 

 きっかけは、じいちゃんが死んだことやった。
 ウチにとって、じいちゃんは黙ってぼーっとしてるだけの空気みたいな存在やったから、死んだ言われても正直ピンとこおへんかった。
 てかじいちゃんってウチにとっては、「じいちゃん」っていうか「おとんのおとん」やねんな。おとんみたいなダメ人間のおとんって、どんなダメ人間なんやろ、とゆう興味はあったけど、結局ようわからんじまいになってもうた。悲しいことやと思う。
 ばあちゃんは最初こそビイビイ泣いてはったけど、やがて飽きたのか、スイッチ切り替わったみたいにテキパキ動き始めた。おとんは、死んでるじいちゃんの枕もとで、じっとしとった。何考えてんのかようわからん顔やった。案外何も考えてなかったんかもしれん。
 で、ウチがそんなおとんを観察してたら、ばあちゃんが来て、言った。
イサオが帰ってくるて」
「チョーナンさまが?」
 ウチは思わず聞き返した。ばあちゃんは黙ってうなずいた。
 おとんは、ゲジゲジ眉をめいっぱい寄せて、非難めいた表情でばあちゃんを見た。
「あいつに言うたんか」
「当たり前やないの。息子やで」
 おとんは、次男坊である。おとんの兄貴のチョーナンさまは、ばあちゃんに言わせると、税理士をやってる偉いお方で、板前をやってたじいちゃんや、工場勤めのおとんなんかとは比べ物にならないくらいの、上等な人間らしい。
 せやけど、チョーナンさまは偉すぎて、下等なうちらのこと、見えてへんみたいや。正月やお盆にも帰って来おへんもん。今はトーキョーに住んどるとは言っても、仕事でしょっちゅうこっち帰ってきてるはずやのに。たまには顔くらい出したってもいいやんけ。ウチ、チョーナンさま、嫌いやな。
 それでも、チョーナンさまは、ばあちゃんの自慢や。ばあちゃんはチョーナンさまをほとんどスーハイしてて、何があろうとチョーナンさまの味方をする。とゆうことはチョーナンさまはばあちゃん連合軍の一員なわけで、当然のことながら、おとんの敵とゆうことになる。つまりウチの敵や。たいへん残念なことやけど。
イサオはじいちゃんと仲悪かったけど、でもやっぱ親子やもんねえ。お別れ言いたいんやねえ。ああ、ばあちゃん泣きそうやわ」
 ばあちゃんは結局泣かんかった。たぶんもう一生分の涙を使い切ったんやと思う。それに、実際のところ、ばあちゃんの言ったことは、見当外れもええとこやった。

 

 お通夜の日の朝。
 黒スーツ姿のチョーナンさまは、ニコニコ顔で出迎えたばあちゃんに、開口一番、こう尋ねた。
「母さん。父さんの部屋はもう片付けましたか」
 チョーナンさまは、家族やのに敬語を使う。関西弁を恥ずかしいと思てるらしい。ていうかまず他に言うことあるやろ。ほんとなんやの、この人。
「じいちゃんの部屋? まだなんも手えつけてへんけど……」
 ほら見てみい。ばあちゃんも若干引いてはるやんけ。
「まあ先にお線香あげてきて。今お茶用意するしな。香苗さんは来てへんの?」
「家内は仕事があるので。失礼します」
 チョーナンさまは、そこでようやく玄関に上がった。そして振り返り、言う。
「博之、あれこれ触らないように」
「うん」
 チョーナンさまには連れがおった。ウチと同い年の博之や。
 いとこの博之は、ひょろひょろ眼鏡のもやしっ子で、「それは大変だね」とか「なるほど、勉強になるな」とか、なんかガクシャみたいな喋り方をする。トーキョー風吹かしとって気に食わんけど、まあ、悪人ではない。チョーナンさまに比べればマシな人間や。
 ウチは博之とアイコンタクトを交わした。子どもには子どもだけの言語がある。今回の場合、「後でゆっくり」とゆう意味や。
 チョーナンさまは、ちゃちゃっとお焼香を済ますと、訳知り顔で客間に入り、ためらいもなく上座に座った。博之は、チョーナンさまの隣に、ピンと背筋を伸ばして座った。ウチは、博之の向かいに座った。
 おとんはといえば、客間と続きの居間で、ひっくりかえって寝たふりしとる。でも、聞き耳立ててることはバレバレや。
 ばあちゃんがお茶を持ってやってくる。
「よう来てくれたなあ。神原のおばちゃんが会いたがってたで。お通夜は六時からやからね。あ、みっちゃんも来る言うてたわ。懐かしいやろ」
 ばあちゃんの甲高い声を全部無視して、チョーナンさまはカバンから一枚の紙を取り出した。何か写真が印刷してある。
「これを探しています」
「なんやの、これ?」
カフスボタンです。価値のあるものです」
 それは白くて丸くて、たぶん貝細工だった。ママが気に入っていた白いイヤリングに、ちょっとだけ似ている。ウチは大きくなったら、あの白いイヤリングをママから譲ってもらうつもりやった。
カフスボタンてなんやの?」
 ウチはチョーナンさまに尋ねた。
「目上の人にそういう言い方はよくない」
 チョーナンさまは、ウチをピシャリと叱った後、一応「袖口につける、飾り用のボタンだよ」と説明してくれた。
 そこで、耐えられなくなったのか、おとんがノソノソ起き上がってきた。ばあちゃんの脇から、カフスボタンとやらの写真をのぞき込み、ゲジゲジ眉をひそめる。
「なんやこれ」
 せやからカフスボタンや言うてるやろが。
「父さんが持っていたはずです。どこにあるかわかりますか」
 チョーナンさまは、おとんの発言はまるっきり無視した。まるでおとんが透明人間にでもなったみたいに。ばあちゃんは悩ましげに腕を組む。
「さあねえ。あの人ボケてもうてから長いし。特にここ数年はホンマに大変やったからねえ。徘徊もしたし……。この前なんか、どこにおんのやろ思たら、庭の池の鯉に、ゴミあげててんで。朝刊をちぎってな、こないして放って、鯉にあげててん。『食べ、食べ』言うて。笑うやろ」
 誰も笑わなかった。
「言うとくけどな、うちの池の鯉はホンマもんやねんで。売ったら高値がつくんやから。じいちゃんが大切にお世話してきたんやからね。錦鯉やで、ホンマもんの!」
 一人でダダスベリしたんが恥ずかしかったんか、ばあちゃんは早口で謎の言い訳をした。チョーナンさまは凍った魚くらい冷たい目で実の母を見やり、咳払いして、続けた。
「何某という、ドイツのデザイナーの手によるものです。知り合いに鑑定士がいましてね。ここのところ人気が急上昇していて、コレクターが高値で買い取るようなんです。状態が良ければ、二百万は下らないとか」
「は?」
 にひゃくまん?
 ウチら三人は顔を見合わせた。そんなお宝を、じいちゃんが?
「もう何十年も前になりますが、父さんに自慢されたことがあります。店の客から譲り受けたとか。あのときは真面目に取り合わなかったのですが、この写真を見るに、特徴が一致します。……母さん、知りませんでしたか」
 ばあちゃんは右のこめかみをトントン叩く。そこに記憶の貯蔵庫があるみたいに。
「うーん、そんな話聞いたことないなあ。おおかた、じいちゃんも忘れてたんとちゃうの」
「ありえるな」
 ばあちゃんとウチがそんなことを言っていると、おとんが急に立ち上がった。チョーナンさまを見下ろし、すごむことには、
「お前それ、見つけてどうするつもりやねん」
 チョーナンさまはおとんを見上げず、真ん前を向いたままツンとしている。
「関係ないでしょう」
「えらい値打ちあるんか知らんけど、親父のもんやろ。お前がどうこうするのはおかしい」
 おとんはどすの利いた声で言い募る。
「お前、親父がボケ始めても帰って来おへんで、死んだら今度はボタンの心配かいや。お前みたいなもん、家族とちゃうわ!」
 おとんが大声で怒鳴ると、チョーナンさまは、ゆらりと顔を上げた。
「やたらつっかかるな」
「ああ?」
「やけに止めるなあて言うてんのや」
 チョーナンさまが立ち上がった。関西弁、戻ってるやん。
 ばあちゃんが、慌ててウチと博之を手招きする。まずい。うちらはばあちゃんのもとに駆けよった。
 チョーナンさまは、オトンに詰め寄り、低い声で言った。
「まさか、お前、盗んで売ったんやないやろな」
「はあ?」
 予想外の台詞に、言葉を詰まらせるおとん。チョーナンさまはあざけるように笑う。
「うちで金に困ってるのはお前だけやないか。そう考えるのが自然ちゃうか?」
「盗んだりしてへん。そのボタンのことも今日初めて知ったんや」
「どうだかな」
 チョーナンさまの声は冷え冷えとしていた。ウチは、ばあちゃんの腕をぎゅっと握った。
「いい年こいて実家に寄生して、恥ずかしいと思わへんのか。まあこんな家、頼まれたかて住みたないけどな」
「お前……」
「板前なって父さんの跡継ぐて大口切って出て行って、結果どうなったか言うてみい。どこの馬の骨かもわからん女に捕まって、修行やめて、挙句、子ども残して逃げられて……」
 グサリって、見えないナイフみたいなんが、ウチの胸に刺さったとき。
イサオ!」
 鋭い声が飛んだ。ばあちゃんだった。
「やめなさい子どもの前で」
 ばあちゃんは、もうチョーナンさまにニコニコせんかった。
「じいちゃんの部屋は好きに探したらいいわ。せやけどもう喧嘩はせんといて。言うとくけどな、じいちゃん死んではんのやで」
 じいちゃん死んではんのやで。よう考えたら意味わからん脅し文句やけど、少なくともそのときは効果的やった。


 お通夜が始まると、ひっきりなしに来客があるので、ウチは正直驚いた。近所で小料理屋を構えていたじいちゃんは、実はわりと人望あったみたいや。ウチにとっては空気でも。
 親戚や知り合いが押しかけ、ゴシューショーサマです、ゴシューショーサマです、て繰り返す。ばあちゃんとチョーナンさまは、そのたび、ペコペコ頭を下げる。おとんは落ち着かんのか、何度もタバコ吸いに外に出る。中庭の池が、仏間の明かりを受けて、ぬらぬら光っていた。
 お通夜の後は、宴会になった。人が死んどる横でこんなどんちゃん騒ぎしてええんかと思うけど、久々の親族集合やし仕方ない部分はあるわな。おとんは例によって早々にベロベロになってもうて、大声で何かわめいてるけど、誰も聞いてない。てかみんな、誰の話も聞いてない。カオスや。
 だいたい、うちの血筋はお酒に弱い。さっきまであんなにピリピリギスギスしてたのに、お酒が入ったとたん、あのチョーナンさままで、真っ赤な顔して笑ってはんのやから。
 博之は、ブドウのジュースをちびちび飲みながら、言った。
「大人はいいよね。お酒を飲めば、どんなに仲が悪くても一時的に和解できる」
「そやね」
 ウチも博之と同じジュースを紙コップに注いだ。
 博之はそこで少し押し黙り、眼鏡をついと押し上げた。
「実を言うとね、父さんの事務所、少し危ないんだよ」
「え?」
「雇っていた秘書が、不正を働いたらしい。なお悪いことに、父さんは彼女と不倫をしていたんだ。いろいろと、入り用なんだよ」
「……」
 ウチは、博之の肩を抱いた。大人ってホント、どうしようもない。


 お葬式の日の翌朝早く、おとんとチョーナンさまの言い合う声で目が覚めた。眠い目をこすりつつ、居間に向かうと、開いた窓から朝の風が吹き込んできた。
 濡れ縁のところで、おとんが何か言っていた。チョーナンさまの手のひらには、小さな箱。
「せやからそんな箱知らんて言うてんねん!」
「中身だけがなくなっとんのはおかしいやろ。お前が盗ったんやないんか」
 ウチは部屋の隅でじっとしている博之に近づいた。小声で尋ねる。
「どしたの」
「例のカフスボタンのね、箱だけが見つかったんだよ。今朝がた」
「チョーナンさま、まだ諦めてへんかったんか」
「チョーナンさまじゃなく伯父さんと言うべきだよ」
「せやな。で、チョーナンさまはおとんを疑ってるとゆうわけか」
「そういうわけだね。伯父さんと言うべきだよ」
 おとんとチョーナンさまはその後もしばらく大声で言い合っていたけど、やがて双方言葉もなくなり、沈黙のまま長いこと睨み合った。その間にばあちゃんが起きてきたけど、ばあちゃんは二人のことは無視して、朝ご飯を作り始めた。
 あるとき、チョーナンさまがつぶやいた。
「……馬鹿らしい。やっぱり帰ってくるんやなかった」
 チョーナンさまは大きく振りかぶって、カフスボタンの箱を窓の外に放り投げた。箱は中庭の池に落ちて、ぽちゃんとしぶきをあげた。抗議でもするみたいに、池の鯉が飛び跳ねるのが見えた。
 チョーナンさまは、やけになったように、こぼす。
「……錦鯉なわけないだろ。嘘ばっかりつきやがって!」
イサオ
 おとんが何か声をかけようとした。でも、
「嘘ばっかりや。父さんも、母さんも、お前も。インチキや!」
 チョーナンさまの声には、涙が混じっていた。
「父さんもお前もダメ人間のくせに。たかが板前のくせに……お前なんか、板前にもなられへんかった半端もんのくせに。俺がどれだけ頑張って……なんで俺だけ、こんな目に……!」
 チョーナンさまは大声を上げ、おとんに殴りかかろうとした。
 そのとき、博之がさっと二人の間に入った。
 博之はチョーナンさまに向き直り、はっきりと言った。
「僕は暴力を嫌悪する」
 しん、と、水を打ったような静寂になった。
「用事が終わったなら帰ろう」
 やがて、博之がそう言うと、
「……そうだな」
 チョーナンさまは空気の抜けた風船みたいになって、その場にへたりこんでしまった。ウチは、ようわからんけど、その姿をすごく哀れだと思った。
「朝ごはんできたでー」
 やがて、ばあちゃんののんきな声がした。


 チョーナンさまは、ばあちゃんの作った朝ご飯を食べた後、帰って行った。博之は最後、玄関先で振り返り、ウチに言った。
「君は弁護士になるんだろう」
「そのつもりやけど」
「ではそのうち法廷で会うこともあるだろう。僕は検察官になる予定なので」
「その前に東大で会うかもな」
「かもしれないね。では」
 おとんはというと、朝ご飯も食べんと、濡れ縁に腰かけて池をじっと眺めていた。
 ウチはおとんの背中にゴンって頭をぶつけた。
 ウチは賢いけど、まだ十二やから、わからんことが色々ある。
 たとえばママのこと。ママは天使で、ちょっとした間違いか、憐みの心で、ゴリラみたいなおとんとの間に生んだ子が、ウチで、今はまあちょっと離れとるけど、ママはウチのこと愛してるから、いつかまた一緒に暮らせる。ウチはそう思っとるけど、ホントのところは、そうじゃないのかもしれん。わからんな、こればっかりは。
 そしてチョーナンさまのこと。チョーナンさまは、もしかしたら、おとんに板前になってほしかったんと違うかな。自分はじいちゃんと仲悪かったし、家出てもうて、じいちゃんの店継がれへんかったから。そんなん勝手やがなって、ウチは思てまうけど、チョーナンさまから見たら、おとんのが勝手なんかな。せやからインチキとか言わはんのかな。わからんな、これも。世界って複雑やで、ほんま。
「でもまあ、ウチはおとんの味方やしな」
 黙ったままのおとんに、ウチはそう声をかける。おお、ウチちょっとかっこいいやんけ。そう思ったとき、突然おとんが立ち上がるから、ウチはずっこけそうになってもうた。
「なんやの、急に。どしたん?」
 おとんは鼻から息を抜き、言った。
「……売りに行こ」
「何を?」
「鯉や」
 はあ? 何を言っとんのや、このおっさんは。
「錦鯉。ホンモノやって証明しよ」
 おとんは勝手に何か納得し、物置きから虫取り網を引っ張り出してきて、池の鯉と格闘し始めた。アホやで、ほんま、この人。

 

 商店街の観賞魚屋さんに、鯉を入れたバケツを持ち込むと、店主のおっちゃんは、開口一番、こう言った。
「いや、普通の鯉だね。というか、見ればわかるだろ、錦鯉じゃないってことくらい」
「いやいや、こういう色の錦鯉もおるかもわからへんやろ」
「これは錦鯉ではない。以上」
 口をパクパクさせているおとんの前で、店のおっちゃんはバケツをのぞき込み、肩をすくめた。
「ダメだよ、こんな雑な感じで運んじゃ。死んじゃってるんじゃないの、これ?」
 たしかに、鈍色の鯉はひっくり返って水に浮かび、動かんくなっていた。亡き飼い主の後を追ったんやろな。そういうことにしとこ。
「……」
 店を出て、バケツを地面に置くと、おとんは深く深くため息をついた。おお、なんたる、ミジメ。ウチ、耐えられへん。
「どうすんの、おとん」
 おとんはしばらく何か考えるふりをした。そして、
「さばいてまお」
「は?」
 おとんはタバコに火をつけ、やけっぱちの笑みを浮かべた。
「お前、知らんのか。鯉は煮ると美味いんや」

 

 鯉こくというのは、鯉の味噌煮込みのことらしい。正式な料理やで、おとんの創作でなく。
 おとんがキッチンに立つのは、出戻り以来初めてのことや。おとんはタバコをふかしつつ、手際よく鯉をさばいていった。その手つきは、ウチでもほれぼれするほどやった。
 たぶんやけど、おとんは、真面目に修行してたんやと思う。板前にだってなれたんや。
 でもならんかった。おそらくはウチのために。
 おとんは、インチキなんかやない。インチキなんかやないで。
 言わんけどな。
「ん?」
 そのとき、鯉の腹の中から、キラッて光るものが出てきた。
 それは、貝殻細工の、きれいなカフスボタンやった。


 その晩、おとんとウチとばあちゃんは、みんなして鯉こくを食べた。正直言って、臭かったし、特別美味しいとも思わんかった。よう考えたらこの鯉、朝刊やらなんやら食ってたんやもんな。ばあちゃんはじいちゃんの大切な鯉をさばかれて怒り心頭やったけど、でも結局は「まあ悪くはないな」とか言うて食べてた。ウチの長い人生の中でも一番ヤバい食卓やったな、間違いなく。
 でも、翌日はサイコーやった。チョーナンさまの妻さまから、詫びの牛肉が届いたから。
 チョーナンさまはサイテーなやつやけど、妻選びは正しかったみたいや。なにせ、それはそれは美味しいお肉やったから。しゃぶしゃぶにして、一人四枚ずつ食べた。
 博之は、母に似れば、きっといい大人になるやろう。法廷で会うのが楽しみや。

 

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「鬼ヶ島通信」70+8号 《鬼の創作道場》自由部門投稿作(落選)。

「思いのほか冷静な子どもや、ダメすぎるけれど憎めない愛すべき大人たちなど、キャラクターが際だっている」「冒頭の説明とラストの終わり方のバランスが気になる」「主人公の成長や変化がそれほど感じられない」などのご講評をいただきました。那須田淳先生の詳しい赤ペンは本誌にて。

 自分でもよくわからん話やなと思いつつ、関西弁のノリとテンポでガーッと書いてしまいました。いま改めて読んでみても、よくわからん話やな。でも書いてるとき楽しかったです。「子どもたちに共感してもらうこと」を意識して、また挑戦します!