青の名前

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天川栄人のブログです。新刊お知らせや雑記など。

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【短編】僕らのいつか終わる夏

 我々は、断固、抗議する。
 その文面はこう始まっていた。我々は、断固、抗議する――……。
「何よこれ」
「抗議文、だろ?」
 私は眉根を揉み、がたつく椅子に背中を預けた。生徒会室はコンクリ打ちっぱなし。九月も半ばとはいえまだまだ夏、クーラーすらないこの元倉庫はもはや灼熱地獄だ。
「我々は、断固、抗議する」
 うだる私の前で、阿部はネクタイをゆるめ、うちわを片手にそれを読み上げはじめた。
「他でもない、先日行われた体育祭の件である。雨天決行と大風呂敷を広げておきながら、いざ雨がひどくなった途端突然の中止宣言。延期を求める我々の声にも耳を貸さず、途中経過で採点を下し、我々の体育祭を滅茶苦茶なものにした教師および生徒会の面々に、我々は断固抗議する。生徒同志諸君、我々の夏はこれで終わっていいのか。びしょ濡れになっても構わない、せめてフォークダンスだけでも踊らせてくれという悲痛な願いを、このまま忘れ去ることができようか。今こそ一致団結して怒りをあらわにし、体育祭のやり直しを要求すべきではないか……」
「くっだらない!」
 まだまだ続きそうな抗議文は、会計・佐和の一言でばっさりと切り捨てられた。
「それどこにあったんすか? 投書箱?」
「まさか。つか投書箱ってどこにあんのか俺知らねえし」
 こらこらそこの副会長。それでいいのか。投書箱は、ほらえーと、食堂とピロティと図書館と、あとえーと、
「会長も知らないんじゃん」
「うるさい」
「どこにあったんですか、それで」
「校内中、掲示板という掲示板にご丁寧に一枚ずつ。つか、気づかなかったの? 君たち」
 私と佐和はそろって首を振る。ああ、首の後ろが熱い。ふわふわの髪を耳の後ろで二つ縛りにしている佐和はいかにも涼しげだが、それにしたって暑い。暑さに殺される。
掲示板なんて見ないじゃんねえ」
「ですよねー」
 阿部は肩をすくめ、神妙に腕を組んだ。
「先生たちはもうカンカンでさ、さっさと全部取っ払っちゃったみたいだ。まあでも、もう全校に知れ渡ってるけどな。頼み込んで一枚だけもらってきた」
「ふうん」
 佐和は短いスカートをひらひらやって風を起こしつつ(仮にも男の子の前で、やめなさいったら!)、そのB5の紙に目を通す。
「差出人は……、M。きゃー、それっぽい」
「馬鹿、佐和、大ごとなんだぞ」
 阿部は叱ってから、こちらを見やった。
「どうすんの、会長」
「どうするって言ったって……」
 どうしようもないでしょう。まさか本当にやり直しだなんて、お上が許すはずがない。
「とりあえずは経過観察、ということで」
 任期満了まで近いし。私はそう付け加えた。

「こりゃ大変ですよ」
 翌日。インスタント亜熱帯、もとい生徒会室に転がり込んできたのは、もう一人の副会長、眼鏡の秦。短く刈った頭に一杯汗をかいて、それをさらにあおる熱風に顔をしかめた。
「聞いてるわよ、続報でしょ、抗議文の」
 佐和が右手のB5をひらひらやった。
「もうみんなその話題で持ちきりっすよ。昨日の今日でまたやられたって、先生たちも面目丸つぶれでやんの」
「こら、秦、ちゃかさないの」
「すみません」
 私がたしなめると、秦は一応しゅんとする。しかしすぐに元気を取り戻し、
「でも、もう先生たちも黙っちゃおかないと思いますよ」
「まあ、こんなこと企画されちゃあねえ……」
 私は本日三本目のレモンティーの紙パックに、ぷす、とストローをさした。
 抗議文第二弾の内容はこうだ。
 前半は前回同様、教師および私たち生徒会への抗議。体育祭の途中切り上げに対して、勝手だの横暴だの、つらつら書き並べてある。
 問題は後半。
「我々は繰り返し、体育祭のやり直しを要求する。これが聞き入れられなかった場合は、」
「……我々生徒が主体となり、ゲリラ体育祭を強行実施する所存である」
 しばらく室内は無音になった。むんむんと熱気だけが渦を巻いている。阿部がうちわであおぐ手を休め、親指の爪をちょっと噛んだ。
「……どういう意味だ?」
「そういう意味じゃないですかー」
 佐和は気だるそうに体をのけぞらせた。秦がうむと唸り、眼鏡を押し上げる。
スペイン語で小戦争、ですねえ」
 何が?
「ゲリラ」
 そうなんだ。ていうか黙れインテリかぶれ。
「ひどくないすか会長!」
「まあまあ」
 阿部がなだめる。佐和は体を戻し、そのまま頬杖をついた。目一杯むくれて、
「ていうかこの、『我々』っていうの気に食わないんですよねえ。何勝手に複数形にしちゃってんの、お前は生徒の代表かっつうの!」
「それが、そうでもないみたいなんだよ」
 秦はいそいそと、佐和の隣の椅子に座った。秘密の話をするみたいに、声を落とし、ぐるりと私たちを見回して。
「みんな、結構本気にしちゃってて、同志も出てきてるらしいっすよ」
「同志?」
「そう。あの体育祭、そうは言ってもやっぱり批判多かったでしょ。仕方がないとはいえ……特に三年生の先輩方はね、不満だったんじゃないですか、フォークダンスできなくて」
「三年がやったっていうのか? これを?」
 阿部がいきり立って立ち上がった。秦は慌ててぶんぶん首を振り、控えめに続ける。
「そうじゃなくて。擁護派が多いって話です。もっとやれって、煽ってる節あるみたいだし」
「そんなこと」
「阿部、それはでも、本当だよ」
「会長」
 昨日の今日だ、周りのみんなが浮き足立っている雰囲気は私だって感じている。
「でも、だって、体育祭中止をあたしたちのせいにされても困るじゃんかっ……!」
 佐和は一人、誰にともなく噛みついた。と、
「すみません、新聞部ですが」
 突然ドアが開く。あ、一瞬涼風。
「今回の件で、号外発行の許可を……」
 佐和と秦がこちらを見た。私は手で合図する。追い返して。
 優秀で従順な部下二人は物も言わずに立ち上がり、新聞部員を連れて生徒会室を出て行った。私は長くため息を吐く。
 つっ立ちっぱなしだった阿部はふんと鼻を鳴らして腰を下ろした。そして不意に、
「会長も、もっとやれって思ってんの?」
 なんて言いだすものだから、私はレモンティー吹き出しかけた。危ない、大切な水分源を無駄にするところだった。
「何言ってんのよ」
「だって」
 阿部は叱られて拗ねた子供のように、
「あの時、続行しましょうって最後まで粘ってたの、会長じゃん」
「……」
 まだそんなこと覚えてたのか、こいつ。私は頬を緩め、同時に胸を焼く青い痛みに目を細めた。
「俺は、でも、許せないけど、こういうの」
 そして阿部は静かに切り出す。
「俺たちだって最善を尽くしてたんだ。一番続けたかったのは、俺たちじゃないか。一番辛かったのは俺たちだろ。……そんなことも知らないでこいつ、」
「阿部」
「だって会長」
「阿部」
 私は阿部と目を合わせた。
「……それとこれとは、別でしょ」
「だけど」
「ねえ、私たちもう三年生よ? 私とあんたは今月で引退なんだし、事を大きくしないで」
 経過観察。無声音で念押しする。

 二週間ぶりに雨が降った月曜日。あれ以来ぱったり音沙汰のなかった自称Mが、唐突に事を起こしたのが、その日だった。湿気が増してほとんど殺人的な暑さの生徒会室で、
「今週土曜午後十一時三十分より、本校グラウンドにて、やり直し体育祭を実行する!」
 阿部が叫んだ。勢いに任せ、B5の紙を机に叩きつける。私たちは少し身を引いた。
「……我々の夏は終わらない。これが本当の体育祭だ。多数の同志が集うことを望む」
 私は暗記するほど読み返した続きを呟く。阿部は憤りを隠せないようだった。
「何が本当の、だ! じゃああれは偽物だったって言うのかよ! ……何が我々の夏だ。俺たちは俺たちで一生懸命に、あの時っ! あれは、あれで、俺たちのっ」
「先輩、落ち着いて」
 佐和が苦労して阿部を座らせる。秦はその様子を窺いながら、おずおずと口を開いた。
「……先生たち、完璧にキレてます。内容はもとより、……十一時半、だし」
「……夜の体育祭、ねえ」
「何考えてんのよ、こいつら」
 佐和の中ではもう、『こいつら』なのか。私は少し感慨を覚えた。いや、当然と言えば当然か。校内はもう完璧に体育祭やり直しのムードに染められている。彼らの夏の、やり場のないうっぷんは、霧散する前にもう一度集結しようとしているのだ。正確にかじを切れば、その勢いはあっさり肌を裂く凶器になる。
「でも、無理ですよ、現実的に考えて。ねえ?」
 佐和は阿部の肩に手を置いて、私の方に視線をやった。私は硬く、一度頷く。けれど。
「現実的とかどうとか、そんなこと言っていられなくなると思うな、多分」
「どういう意味ですか?」
 秦が眉をひそめた。私は重ねた手のひらにじっとりと汗を感じながら、うつろになりかける視線を一点に集める。
「じき、分かるよ」

 はたしてそうなってしまった。
「何をやってるんだ、あいつらはっ!」
 だんっ! 派手な音を立てて阿部は壁を殴った。ああ、コンクリ壁なのに、そんな真似。
「綺麗に感化されてますねえ」
 佐和は頬をひきつらせ、机の上に並べられたそれらを見やる。
「手口もコピーされてます。ティピカルな模倣犯、っすね」
 眼鏡のインテリ、秦は腕に爪を立てている。ティピカルってあんた、典型的ってちゃんと日本語で言いなさいよ。
「言ってる場合ですか」
「はい、ごめんなさい」
 下手に冷静なのは時に短所ですね。私は素直に反省した。しかし、これはこれは。
 赤から青から黄色から、あるいはざら紙に手書き、というものまで。
「我々はM主催のやり直し体育祭を後押しする! 大賛成だ! 断固参加する! もう一度ちゃんとフォークダンスを踊らせろ!」
 私は次々に読み上げる。視界の隅、阿部が震えているのが分かった。私はのどにつかえる重いものを無理やり飲み下し、一言絞り出す。
「……こりゃ、実行されるな」
「ちょっと、会長!」
 佐和が大声を出した。分かってるよ、私は鋭くそれを制した。
「わかってるよ、私がそれを許しちゃいけないことくらい。でも、……生徒の意志が固まってきてる」
 あんたたちだって、分かってるでしょう? 感じているんでしょう?
「だけどそれじゃ、俺たちの負けっすよ」
「どういう意味?」
「だって」
 秦は椅子の上であぐらをかき、肘を突っ張って俯いた。
「だってそんなの。先生たちと……俺たちが、非を認めるってことと、同義じゃないか」
 私は首を傾げる。汗でべとつく髪が揺れた。
「俺たちが、……非を認めて、あの体育祭が間違ってたってそう認めて、意味なかったってことにして。やり直すって結局、そういうことと同じじゃないですか」
「……でも、秦ちゃん! あたしたち別に悪くないじゃん!」
「だから負けだっつってんだよ!」
「落ち着け」
 自分のことは棚に上げ、二人を阿部がたしなめる。頭をぐしゃぐしゃにかいて彼は、
「とにかく、先生たちの判断を仰いで」
「先輩、それ間違ってますよお!」
「俺たちは先生のいいなりじゃないんだし、それに、生徒を煽るだけっすよ」
「でも俺たちじゃどうしようもないだろ」
「そんなっ……」
「佐和、秦」
 私は顔の前で両手の指を折り重ねた。
「職員室に行っておいで」
「「会長!」」
 ダブルサウンドが責め立てるけれど、私は視線をぶらさなかった。
「私たちには責任がある」
「何にですか、体育祭中止したことにですか」
「あれはだって、先生たちが無理やり、」
「行っておいで」
 真っ直ぐに、これは、命令。
「生徒会は絶対反対を表明します」
 二人は何か言いたそうにしばらく力んでいたが、ある時観念して出て行った。
 湿気のこもった残暑はまだしつこく私たちをあぶり、首の後ろで嘲笑っている。私は目を閉じ、これからのことを思った。
「……いいの、それで?」
 聞き取るのもやっとなくらい小さな声。私は顔を上げた。
「どういうこと?」
「いいの? 反対しちゃって。会長は」
「阿部、あんた言ってること矛盾してる」
「自覚してるよ」
 阿部は深くうなだれた。右足で一度、コンクリの床を蹴りつけて。
「何でこんなに必死なんだ、俺たち。馬鹿みたいじゃん、こんなの」
「……夏だからじゃない?」
 慰めにもならない言葉。ああ、どうしてこんなに皆、夏にしがみついているのだろう。今となっては何もかも終わったことって、いつまでも諦めきれずに。あの生暖かい、少し大人びた斜めな視線を受け入れられずに。
「……会長」
「何?」
 気付けば阿部が立ち上がり、こちらに手を差し出していた。右足を引いて、左の掌を上に向けて。
 私はしばらくきょとんとして、ああ、って素っ頓狂に頷いた。少し笑い、立ち上がる。
「たららったったららららったった」
 女子の右肩の上で右手を、男子のお腹の前で左手を重ねるバルソビアナ・ポジション。まずは左足を前、後ろ、次は右。三歩歩いて、
「踊れなかったのは俺たちも同じじゃんね」
 下手な歌に交えて阿部はそんなことを言う。
「そうね」
 くるっとまわって次の人、がいないので、また阿部と。元のポジションに戻り、左足を前、後ろ……。阿部は呟くように問うた。
「……どうするつもり?」
「どうにかする」
 決意を灯して、ステップは軽く。迷ったって今さら、もう戻れないのだし、ね。


三十を超す抗議文、読ませて頂きました。
丁度任期満了間際、我々の責任については
目をつむっていただきたい。でも、学校も
公共の場であることを考えて下さい。幼稚
園児じゃないのだから、あなた方のやり方
には遺憾というより他ありません。土曜の
十一時には学校を封鎖する予定です。皆、
一度ゆっくり頭を冷やしてください。少し
時がたてば、分かり合えます。     
         生徒会長 長野まどか




「いやあ……」
「集まりましたねえ、しかし」
 土曜、十一時。夜のやり直し体育祭は、結局実行される運びとなった。……ただし、本校グラウンドではなく、三丁目公園で。
「今頃先生たち、必死で学校見張ってますよ」
 簡易本部。長机と椅子だけのそこで、懐中電灯片手に佐和が可笑しそうに言う。
「「馬鹿、ちゃかすんじゃない」」
 私と阿部の声は綺麗に重なった。
「それにしたってすごいっすよね、俺、言われるまで気付かなかったし」
 秦がメガネを押し上げ、くしゃくしゃになったB5の紙を取り出した。あのあと、校内のいたるところに貼り回った生徒会の声明文。
「三、丁、目、公、園、に、十、一、時」
 秦が各行の頭文字を拾っていく。私は首を回し、馬鹿みたいに晴れた夜空を仰いだ。
「ほんの思いつきよ。私だって分かってくれるか不安だったわ。……でも予想外。こんなに集まるとはね。ほとんど全校生徒じゃない」
「これがあたしたちなりの返事ってことですね? あの抗議文への」
 佐和はにやついている。この計画を話したときのこいつの喜びようと言ったら! 結局私たち生徒会が一番、このやり直し体育祭に賛成したかったのだなんて、ぼんやり思う。
「馬鹿言ってないで早いとこ整列させて。近所の方には確認取ってあるけど、うるさくならないようにね。短縮プログラムに文句は言わせない。先生に嗅ぎつけられる前に全部終わらせるよ!」
「はい」
 優秀で従順でこの上なく可愛い後輩二人は、弾けるように笑って駆けて行った。
「……いやあ、やるなあ、会長」
 と、隣で阿部がくつくつ笑った。
「だから、これはほんの思いつきで、」
「嘘」
 阿部は私の言葉を遮って、こちらを覗き込む。にやりと意地の悪い笑みで、
「初めからこうするつもりだったんだろ? ……M、さん」
「!」
 私は瞠目した。闇に紛れるよう声をひそめて、低く問う。
「……分かってたの?」
「分からいでか」
 阿部はあっけらかんと笑った。それがあんまりあっさりしていて、私は一瞬呆けてしまう。やがてゆっくりと唇を噛み、目を伏せた。
「……怒るかと思った」
 私が呟くと、
「まあね」
 阿部は軽く頷き、静かに言った。
「……ねえまどかさん、何も間違ってないんだよ、多分。俺たちの夏は、全部」
 必死でも馬鹿みたいでも、無意味じゃない。
「ま、なんにせよ、よくがんばりました」
 なんて、阿部は平然と。私は鼻の付け根に柔らかな刺激が集まるのを感じた。視界がゆるむ。仏頂面のまま、歯を食いしばった。
 深海よりももっと深い青を流した空の下、プログラム一番は百改め七十五メートル走。
 蒸し暑さも夜に飲まれて、ひんやり耳を掠める風に、私たちの夏も終わるね、なんて、悔しいから言わずに心にとどめておく。

 

 

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 高校三年生のとき(太古の昔!)に書いた短編が出てきたので、そのまま載せてみました。今だったら絶対こうは書かない、書くべきではないという表現も多々ありますが、直し始めたらキリがないので一字一句当時のままにしてあります。昔の方がよく書けてるじゃん、と思われなければいいですが。*1

 この作品は、高校生文芸道場という文芸部の大会で、県大会、中国ブロック大会ともに最優秀賞をいただきました。その年の県大会の審査員は八束澄子先生、中国ブロック大会の審査員は金原瑞人先生。今思えば恐れ多すぎて冷や汗ものです。お二人にいただいた選評は今も大切に保存してあります。

 そして縁あって今年、その文芸道場中国ブロック大会で、散文部門の審査員を担当することになりました。*2この大会がなければ小説家を目指すこともなかったと思うと、なんだか感慨深いです。恩返しってこういうことを言うんでしょうね。

 分科会では、ずっとやりたかったワークショップもやる予定。後輩のみなさんにとって実りある会になるよう、ただ今もろもろ準備中です。楽しみ!

*1:『悪魔のパズル』1巻を読んだ方は、天川昔からこういうの好きなんやなと思ってください。

*2:岡山県大会はもう数年お手伝いしているのですが、今年は中国ブロック大会が岡山で開催されることになったので、二つの大会を兼ねる形です。