2月1日はプリキュアの日。プリキュアシリーズ20周年*1、本当におめでとうございます。
(しばし泣く)
20年前に出会った日から、プリキュアは私の光であり、希望であり、理想であり、迷い多き人生における、数少ない絶対的な指針でした*2。毎週日曜日朝8時半、テレビの中で戦うプリキュアたちから、元気と勇気、そしてときに慰めをもらい、その力でもってまた次の一週間を乗り切る……それを繰り返して、早いもので20年。気づけば人生の2/3を、プリキュアと共に過ごしたことになります。
ありがとうプリキュア。
中1で「ふたりはプリキュア」に出会い、その凛々しい佇まいに衝撃を受けたこと*3。高校のスクールバッグに「Yes!プリキュア5」の妖精ココとナッツのマスコットをぶら下げて登校していたこと*4。受験期、勉強のため朝早くからみんなで集まったファミレスのボックス席で、ひとりワンセグで「ハートキャッチプリキュア!」を見たこと*5。東日本大震災の年、「スイートプリキュア♪」の「幸福のメロディ」を聴いて静かな癒しの涙を流したこと。大学のサークルで「スマイルプリキュア!」を流行らせ、ついには「キュア姉」と呼ばれるようになってしまったこと。デビュー作の改稿と院試&卒論が重なって死にそうになっていたとき、「Go!プリンセスプリキュア」のエンディングテーマ「夢は未来への道」を繰り返し繰り返し聴いたこと。修論執筆中は、研究室の先輩が描いてくれた「キラキラ☆プリキュアアラモード」のキュアショコラの絵をデスクに飾って、見守ってもらっていたこと。社会人1年目の年に「お仕事」がテーマの一つである「HUGっと!プリキュア」が放送された奇跡*6。コロナ禍でしんどい気持ちになっていたときには、「トロピカル〜ジュ!プリキュア」のトンチキっぷりが清涼剤になってくれたこと。激やせしてしまったタイミングで「デリシャスパーティ♡プリキュア」を見て、ご飯の大切さについて考え直したこと*7。
思春期から今日に至るまで、私は常にプリキュアと共にありました。本来のターゲット層である女児期はとうに過ぎていたけれど、多感な時期をプリキュアと共に過ごしたことで、より大きな影響を受けたような気がします。プリキュアによって人格形成されたといっても過言ではない。折々のタイミングで、プリキュアたちからのメッセージを風のように帆に受けて、人生という荒海の中を進んできたのです。
この20年、プリキュアは私たちに、実にたくさんの大切なことを教えてくれました。
女の子だって、自分の大切なもののために戦っていいのだということ。「可愛い」と「強い」は両立するのだということ*8。迷いながらでも走っていけるのだということ。夢は叶えたい未来への道そのものなのだということ。チグハグでばらばらなふたりでも、手を取り合えるということ。私たちはなんでもできるし、なんにでもなれるということ。女の子でも男の子でも、子どもでも大人でも、人間でも魔法使いでも機械でも宇宙人でも人魚でも、誰だってプリキュアになれるのだということ。
(もう一度泣く)
どんなに苦しいときでも、プリキュアの教えたちは強く揺るがず、心の真ん中にありました。迷ったとき、「プリキュアならどうするか」と考えれば、たいていのことには答えが出るような気がするのです。プリキュアは闇を切り裂く光、旅の進路を照らす、絶対的な輝きなのです。
いつかプリキュアになりたい。そう思って生きてきたし、今もそう思っているし、きっとこれからもそう思い続けるでしょう。そのために戦わなければならないなら、戦うでしょう。プリキュアたちの言葉はキレイゴトかもしれないけれど、誰もキレイゴトを語れなくなったなら、端的に言ってこの世は終わりだからです。
だからこれからも、夢や理想を声高に語っていきましょう。行く手を阻む冷笑や諦観など、清々しく蹴散らしていきましょう。強く優しく美しく、未来を切り開いていく前向きな力、それこそがプリキュアの魂なのだから。
【2/2追記】
昨日、5段落上で「女の子でも男の子でも、子どもでも大人でも」と書いたとき、念頭にあったのは、男の子プリキュアであるキュアアンフィニ(HUGっと!プリキュア)やおばあちゃんプリキュアであるキュアフラワー(ハートキャッチ!プリキュア)でした。
つまり、「女の子は誰でもプリキュアになれる!*10」とは言いつつ、「女」の「子」ではなくてもプリキュアに変身するキャラは、既に存在したわけです。いたんだよもう既に(古参オタクムーブ)。
とはいえ、いずれもゲストキャラの一時的な変身にすぎないというのは確かなところで、結局は「女」の「子」じゃん?という部分は、まあありました。従来サポート役に徹しがちだった「女の子」が主役として先陣切って戦うことの重要性は繰り返し確認されるべきですが、それでもまあ、時代はもうその先を要求しているわけです。
で、今朝起きてニュースを見て、私はむせび泣きました。
natalie.mu (ビジュアルが出た時点でうすうす気づいてはいたが)男子でも成人でもプリキュアになれるんですね。文字通り誰だってプリキュアになれるのですね……!!「女の子だって暴れたい!」という願いからスタートしたプリキュアが、時代とともに変わり続け、「男の子だってプリキュアになりたい!」という願いを回収するまでに至る。20年間の凄みだ。
ありがとうプリキュア。本当にありがとう。
というわけで新シリーズ「ひろがるスカイ!プリキュア」は2/5(日)スタートです。全人類見ましょう。
*1:厳密には20年目。
*2:プリキュアについて語り始めるとマジで止まらないのであまり話さないようにしていましたが、最近作家仲間さんたちにもバレたので、隠すのやめました。
*3:全プリキュアの中でも、なぎさとほのかのバディはとにかく格が違う。すれ違いを繰り返しながら深まったふたりだけの絆は最強なのです。全シリーズ全エピソードの中でベストを決めるなら、初代「ふたりはプリキュア」の第8話を推します。プリキュアオタクならみんな同意するでしょう。
*4:クラスメイトのみんな、引かないでいてくれてありがとう。
*5:引かないでいてくれてありがとう。
*6:初代は別格なので聖別するとして、他の17作品の中でのマイベストプリキュアはハグプリです。見て。
*7:もちろん全てのシリーズが好きだったわけではなく、ちょいちょい和解できないシリーズもあるのですが、そういう年は悪口を言わずそっと見るのをやめることにしています。
*8:「強くなること」は「男の子みたいになること」とイコールではないということ。女の子は女の子のままで既に強いのだということ。
*9:この後さらに一作ずつキャラやストーリーについて思いを語っていこうと思っていましたが、既にかなりのボリュームの怪文書になってきているので、さすがにやめます。とにかく言いたいことは、ありがとうプリキュア。